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6月の展覧会
斉藤真一展
海南市での展覧会和歌山市での展覧会
 

岡山に生れ。東京で没する(大正11年〜平成6年<1922〜1994>。1948年(昭和23年)東京美術学校を卒業。1959年(昭和34年)バイクでヨーロッパを遊学、フランスに留学して藤田嗣治らと親交を結んだ。後年瞽女シリーズを生む東北行きを示唆したのもフジタである。1961年(昭和36年)津軽を旅し、初めて瞽女の存在を知り、1965年(昭和40年)より10年を費やし越後に通い瞽女宿をめぐる。その結果が瞽女シリーズとして登場する。1971年(昭和46年)“みさを瞽女の哀しみ・越後瞽女日記より”が第14回安井賞展佳作賞を受賞。また、1973年(昭和48年)随筆、瞽女をテーマに独特の精神世界を描いて、日本エッセイストクラブ賞受賞する。雪深い津軽地方での三味線を弾き語る瞽女さんたちを世に知らしめた斉藤真一。文学と絵画に孤独と情愛の世界を描画名作瞽女シリーズを生む、かれらは美術史上に残る異色の傑作となった。

1993年(平成5年)山形県天童に財団法人出羽美術館分館・斉藤真一心の美術館が開館。

今展は数少なくなった瞽女シリーズのほか「津軽の女」「春の日」「富士暮色」等いずれの作品にも共通して漂う憂愁 斉藤真一名筆の世界をご覧いただこうと存じます。ご来場賜りますよう、こころよりご案内申し上げます。

 

斉藤真一・お春の愁い
「お春の愁い」お春瞽女物語

油彩 4号
 

「私にとって」斉藤真一
人間が生きている不思議さのようなものをえがいてみたい。私にとって描画は、そのような生命体を得るための一つの手探りである。この世には、男と女が生きている。このことも神秘なのだが、人間が悲しんだり笑ったり憂鬱になったり、恋したり失意したりする感情の起伏の方がもっと不思議でならない。一人の人間が、自分を含めてたった一度だけこの世に生きていける。けっして石や山のように不老死ではないのだ。細ぼそと生きている。脅えながら生きている。ふるえながら糸のように生きているのだ、と何時も思う。時には夢抱いて歓喜するほど楽しいことも有るのだが、それも瞬時で、悲しく生きていると言った方が正解なのかも知れない。私は青息(といき)のような線と蜉蝣(かげろう)のような陰影で、そんな命の明暗を手探りながら描いてみたい、出来得れば限りなく対象をやさしくいたわるように包みこんでみたいのだ。ふと弱弱しい翳(かげ)りのある男と女の愛の方に、むしろ人間のどうにもならない真実の姿を観るような想いがすることがある。してみると、立木も、野の草も、一本の白い道も、潮騒(しおさい)の声も、小さな街の通りも、裸電気の灯明りも、短い人の命と同じように思えてくるのだ。何故かそんな想いで描き続けることが、今日の自分がこの世に生きているたった一つの証しなのかも知れないと思って。

1982.11月2日 世田谷 北鳥山にて

斉藤真一・春の風
「春の風」
油彩 サムホール
 
斉藤真一・紅い陽の林
「紅い陽の林」
越後瞽女日記・冬の旅
油彩 4号
 
斉藤真一・おます
「おます」
越後・高田瞽女

油彩 3号
斉藤真一・紅い陽の道
「紅い陽の道」
越後瞽女日記・冬の旅

油彩 4号
 
斉藤真一・紅い陽の虞美人草
「紅い陽の虞美人草」
油彩 4号
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