保田龍門 略歴
「自画像デッサン」
「自画像デッサン」
明治24年(1891)   和歌山県那賀郡龍門村(現粉河町)に生まれる。
大正1年(1912)21歳 東京美術学校西洋画科本科入学。
大正4年(1915)24歳 「自画像」等、二科入選。
大正6年(1917)26歳 東京美術学校西洋画科本科卒業、日本美術院彫刻部に入り彫刻研究をはじめる。            卒業制作の内「母と子」を第11回文展に出品、特選となる。
大正7年(1918)27歳 第5回院展に「石田氏の像」を出品、樗牛賞(ちょぎゅうしょう)をうける。
大正9年(1920)29歳 院展同人に推挙される。海外留学に横浜出帆。 大正10年(1921)30歳 アメリカで模写や制作に従事、4月パリ着、ブールデル・マイヨールについて            彫刻に打ち込む。
大正12年(1923)32歳 帰国。
大正13年(1924)33歳 東京徳川邸で「渡欧記念展覧会」を開催、油彩59、彫刻13点等出品。
大正13〜昭和27年   結婚。院展出品等16回、この間近代美術史上に評価される作品を発表、 (1924〜52)33〜61才 院展首脳メンバーとして活躍する。
昭和21年(1946)55歳 大阪市立美術研究所彫刻部教授となる。
昭和28年(1953)62歳 紀陽銀行本店壁面レリーフ4面の製作をうける。            2月、和歌山大学学芸学部(現教育学部)教授となる。
昭和29年(1954)63歳 紀陽銀行壁面レリーフ4部作完成。
昭和33年(1958)67歳 名古屋市平和堂立像完成。
昭和40年(1965)73歳 「南方翁胸像」未完成のままのこす。2月病没。            従五位勲四等瑞宝章を授与される。
昭和44年(1969)   保田龍門展(和歌山県立近代美術館) 昭和61年(1986)   保田龍門デッサン展(画廊ビュッフェファイヴ、海南市、和歌山市) 昭和63年(1988)   保田龍門遺作展(画廊ビュッフェファイヴ、海南市、和歌山市) 平成6年(1994)   大正のまなざし"若き保田龍門とその時代"(和歌山県立近代美術館) 平成9年(1997)   龍門館の龍門展(主催:画廊ビュッフェファイヴ、粉河) 平成10年(1998)   保田龍門<水墨>展(画廊ビュッフェファイヴ、海南市、和歌山市) 平成14年(2002)   保田龍門と世代工房展(画廊ビュッフェファイヴ、海南市) 平成17年(2005)   ふるさとに生きる保田龍門展(画廊ビュッフェファイヴ、海南市)
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