明治42(1909)年〜平成12(2000)年91才没、版画家。
メゾチントはあまりにも緻密な技法のため忘れさられた版画である。それは写真技術の発達による疎外である。その間100年。渡仏した長谷川潔〔1919年(大正8年)、28才〕の手さぐりの努力で、道具、機具からはじめメゾチント復活。浜口陽三は不可能かと思われていたそのメゾチントに、版による彩色する技法を創出する、カラーメゾチントを完成。版画史に残る二人、共に日本人の仕事である。浜口陽三氏は2000年(平成12年12月)老衰のため逝去。
和歌山県有田郡広村に生れる。昭和5年東京美術学校中退後、渡欧、昭和14年帰国、再び昭和28年渡仏。直交線素地のメゾチント法を発展させ、銅版画に独自な画境をくりひろげる。このメゾチントに着彩するという技法をはじめて創出する。とくに静物画では宗元の水墨にかよう冷厳透徹な魅力は、昭和42年東京国際版画ビエンナーレ展以来、サンパウロ、ヴェネツィア・ビエンナーレ、ルガノ、リュブリアナ国際版画展などで受賞する。
|