画廊ビュッフェファイヴ

073-482-1994

営業時間:10:00~18:00 定休日:水曜日

2018年10月

日高昌克〈特別〉展

日高昌克〈特別〉展

 

日高昌克〈特別〉展

 

この度、某家蒐集品より日高昌克コレクション展を開催させていただく機会を頂きました。
充実感の高い蒐集内容は、昭和7年から30年代の軸装作品13点のご紹介となります。
何卒ご高覧頂きますようご来廊お待ち申し上げます。

 

11/3(土)~11/18(日) 水曜休廊

 

 

日高昌克(ひだか しょうこく)

1881年(明14)~1961年(昭36)

 

和歌山県御坊市の医師木村元壽の長男に生まれ、のち親戚の池田家を継ぐ。
日高は生地の地方名に因む画名。
昌克は医学を修め耳鼻咽喉科の医学者、医者としての業績をあげながら、美術の関心を次第に深め、大正初期から四条派の阪井芳泉などについて日本画の手ほどきを受け始めた。
やがて医師仲間と墨痴会を結成して芸術論議にふけり、同郷の野長瀬晩花を通じて国画創作協会の土田麦僊らとも交友を開始し、若々しい絵画運動の息吹に触れた。
富岡鉄斎に傾倒し古画と自然を師として独自の画風を築くべきことを諭されたのもこの頃である。大正10年には美術団体黒鳥社を興して意欲的に発表し、昭和2年には第6回国画創作協会展に入選、同展日本画部解散後は同協会の若手により結成された新樹社に参加した。この頃までの昌克は四条派、南画、北画、浮世絵などに多様な関心を示し、この習作期に吸収したものは後の日高芸術形成の糧となった。
昭和10年代に入って、画名を日高昌克とし、医業を廃した頃から、昌克の作品は写実を超えた精神の表現を求めて独自の世界を切り開いていく。
持病のリューマチの悪化に苦しみながらも戦後の昌克が描き続けた紀州の山並みは、純真な自然への感動が墨調と色彩のハーモニーを奏で、晩年に至って清新な生命感あふれる心境面へと深められた。
異色の水墨画家として蒐集家などより作品が動かず幻の作家と伝わったこともある。

 

 

「暮山平林図」1958(昭和33) 38.9×51.2cm 「山高水長図」1958(昭和33) 44.5×27.3cm 「叭々鳥」1949(昭和24) 34×49.3cm 「瀧」1949(昭和24) 54.5×38cm

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