073-482-1994

営業時間:10:00~18:00 定休日:水曜日
※展覧会期間以外は不定休有り

佐藤勝彦〜墨彩画とやきもの展

佐藤勝彦〜墨彩画とやきもの展

 

佐藤勝彦〜墨彩画とやきもの展

 

当画廊では二年半ぶりの展覧会となります。
墨彩画をはじめ やきものなど幅広く制作し続け
情熱的で〝あるがまま〟に生き抜いた佐藤勝彦の世界をご覧いただきます。
墨彩画50点以上 やきもの100点以上出品

 

4/4(土)~4/19(日)

 

画廊ビュッフェファイヴ

海南市大野中608-11 水曜休廊

TEL:(073)482-1994 FAX:(073)483-1303

AM10:00〜PM6:00(最終日はPM5:00まで)

 

 

 

略歴

  • 1940年満州大連生まれ。母の郷里岡山県上房郡賀陽町で少年時代を過ごす。
  • 鳥取大学を卒業後、小学校教諭を23年間務める。
  • 中川一政展に刺激を受け、独特の作風で絵画、書、陶芸などの作品を発表。
  • 1975年季刊『銀花』の一冊に一枚ずつの肉筆画8万枚を十ケ月間で描いた特集号の発刊や、
    NHK教育テレビの出演が大きな反響を呼ぶ。
  • 全国各地で年50回の展覧会を30年以上続けた。
  • 2017年逝去。
  • 著書に「佐藤勝彦作品集」「ありゃせん ありゃあせん」「大丈夫ええようになる」「こころの書」など多数。

 

  • 画廊ビュッフェファイヴでは1992年の初個展より約20年間 毎年開催。

 

 

 

「生かされて無事」佐藤勝彦 「天下一寿山」佐藤勝彦 「目出太也 安利賀太也」佐藤勝彦 やきものいろいろ 佐藤勝彦

臨時休廊のお知らせ

3月の臨時休廊と定休日のお知らせ

 

17日(火)、18(水)、25(水)、26(木) 都合により休廊させて頂きます。

浜田邦男先生のアトリエからの遺作出展中です(3月15日まで)

郷土物故作家展を続けていますと、それぞれの作家の様々な時代の稀少な作品が集まってきます。
今展4人の先生方々も同様に当画廊が集めたものです。

 

郷土物故作家 4人の洋画家展

 

 

浜田邦男先生のアトリエからの遺作点数も昨年から半分以下となりました。

 

浜田邦男先生 旧作抽象画

浜田先生の旧作抽象画

 

浜田邦男先生1991年の作品

浜田邦男先生の1991年の作品

 

 

展示の機会も少なくなりますので是非ご覧いただければと思っています。

 

郷土物故作家 4人の洋画家展

郷土物故作家 4人の洋画家展

郷土物故作家 4人の洋画家展

 

郷土物故作家
4人の洋画家展

 

今展は、和歌山洋画壇を担い 多くの方々に親しまれながら御活躍された
洋画家4人の作品をご覧いただきます。
昨年行いました浜田邦男遺作展の再出品(約50点)を含め、
それぞれの稀少な作品を 総数約80点の内容でご覧いただき
すべて特別価格にて販売いたします。
この機会に多くの皆様の記憶にとどめていただければと願っております。

 

2/29(土)~3/15(日)

 

画廊ビュッフェファイヴ

海南市大野中608-11 水曜休廊

TEL:(073)482-1994 FAX:(073)483-1303

AM10:00〜PM6:00(最終日はPM5:00まで)

 

 

 

中村善種 1914(大3)~1995(平7)

和歌山師範学校、独立美術協会、青甲会結成、京都府・京都市文化功労賞、和歌山市文化賞

 

橘 喜久雄 1919(大8)~1994(平6)

和歌山師範学校、独立美術協会、青甲会、和歌山県文化功労賞

 

浜田邦男 1918(大7)~2011(平23)

東京美術学校、青甲会、海南市文化賞、和歌山県文化功労賞

 

雑賀紀光 1911(明44)~1993(平5)

和歌山師範学校、海南市文化賞

 

 

中村善種「三方五湖(みかたごこ)」油彩10号 橘 喜久雄「おさない道化」油彩6号 浜田邦男「トルコ風景」油彩120号 雑賀紀光「三段壁」油彩8号

純粋な心の筆跡~原 勝四郎展 開催中です

純粋な心の筆跡~原 勝四郎展

 

純粋な心の筆跡~原 勝四郎展 開催中

純粋な心の筆跡~原 勝四郎展 開催中(16日まで)

 

純粋な心の筆跡~原 勝四郎展 開催中

油彩作品は10点ですが充実した内容でご覧いただける機会となりました。
一番手前は「風景」4号。作品数が少ない時期 1926年頃の希少なものです。

 

純粋な心の筆跡~原 勝四郎展 開催中

今展は、日高昌克、鈴木重雄を併設。一月展出品の福井江太郎を特別出品しています。

 

純粋な心の筆跡~原 勝四郎展

川口軌外と吉田政次展

川口軌外と吉田政次 展

 

今展は当画廊が顕彰する郷土作家の中からこの二作家を展観いたします。

共に有田郡吉備町に生まれ、絵画への追求心から活動の場を広げ、それぞれの分野で大きな功績を残しています。

川口軌外は初出品を含め油彩画を中心に約15点、吉田政次は木版画7点を出品いたします。

ご来廊の程何卒よろしくお願い申し上げます。

 

10/5(土)~10/20(日)

 

画廊ビュッフェファイヴ

海南市大野中608-11 水曜休廊

TEL:(073)482-1994 FAX:(073)483-1303

AM10:00〜PM6:00(最終日はPM5:00まで)

 

 

 

川口軌外 1892年(明治25)~1966年(昭和41)

 

吉備町(現 有田郡有田川町)生まれ。

1912年画家を志し上京。1919~1929年にかけて二度渡欧。

佐伯祐三らとの出会いと、ルノアール、シャガール、ロート、レジェなど

美術史に名を残す画家たちに出会い多感に影響を受けながら自己を確立。

帰国後、美術界に抽象的構成を紹介した功績も大きい。

独立美術協会設立に参加。第一回和歌山県文化賞受賞。

 

 

吉田政次 1917年(大正6)~1971年(昭和46)

 

吉備町(現 有田郡有田川町)生まれ。

1941年東京美術学校西洋画科卒。恩地幸四郎の強い影響により油彩から版画に転向。

端正な感動する木版を残し激しく夭折した惜しむべき作家。

1957年第一回東京国際版画ビエンナーレ新人賞受賞。

サンパウロビエンナーレなど各国の版画展に出品。

1969年ホワン・ミロ賞国際素描展大賞受賞。

 

 

吉田政次「哀愁の日」1957年 木版画 59,5×44cm 吉田政次「地の泉 №1」1956年 木版画 56,5×82cm 吉田政次「躍動する心 №5」1968年 木版画 47,5×41cm 川口軌外「牡丹」油彩 8号 川口軌外「花と女」1940年頃 油彩 20号 川口軌外「油送船(下津)」1956年 油彩 20号

湯川雅紀 展 vol.5

湯川雅紀 展 vol.5

Masaki Yukawa Exhibition Vol.5
湯川雅紀 展 vol.5

 

3/30(土)~4/7(日)

 

画廊ビュッフェファイヴ

海南市大野中608-11 水曜休廊

TEL:(073)482-1994 FAX:(073)483-1303

AM10:00〜PM6:00(最終日はPM5:00まで)

 

 

2年半ぶり5回目の個展は、油彩と水彩作品を合わせた約20点の新作を発表。
当廊初の横長35×270cmの油彩作品の連作も出品いたします。
ご来廊の程お待ち申し上げます。

 

作家在廊日

3/30(土)、3/31(日)、4/4(木)、4/6(土)、4/7(日)

 

 

湯川雅紀 略歴

 

1966 和歌山県生まれ
1989 和歌山大学教育学部・美術専攻 卒業
1991 大阪教育大学大学院・教育学研究科・美術教育専攻 修了 その後 渡独
1996 ドイツ国立デュッセルドルフ美術大学・自由芸術科・絵画専攻 修了
    (ヤン・ディベッツ教授のもとでマイスターシューラー取得)
2001〜02 平成13年度ポーラ美術振興財団在外研修生としてドイツに滞在
2010 帰国 ※個展、グループ展多数

 

 

受賞

 

1998 「VOCA展’98」VOCA賞 上野の森美術館(東京)
2008 海南市文化奨励賞(和歌山・海南)
2011 和歌山県文化奨励賞(和歌山県)
2013 大桑文化奨励賞(大桑文化教育振興財団・和歌山)

 

 

パブリックコレクション

 

東京国立近代美術館(東京)
国立国際美術館(大阪)
東京都現代美術館(東京)
練馬区立美術館(東京)
横浜美術館 (横浜、神奈川)
和歌山県立近代美術館(和歌山)
カスヤの森現代美術館(横須賀、神奈川)
第一生命保険株式会社(東京)
独日センタービル(デュッセルドルフ、ドイツ)

 

 

「ドルフィン」  2019年 油彩・キャンバス 35×270cm 「マンボ」2019年 油彩・キャンバス 30号 「オウム返し」2019年 油彩・キャンバス 6号 「ゼブラ」2019年 油彩・キャンバス 6号 「葡萄」2019年 油彩・キャンバス 3号

日高昌克〈特別〉展

日高昌克〈特別〉展

 

日高昌克〈特別〉展

 

この度、某家蒐集品より日高昌克コレクション展を開催させていただく機会を頂きました。
充実感の高い蒐集内容は、昭和7年から30年代の軸装作品13点のご紹介となります。
何卒ご高覧頂きますようご来廊お待ち申し上げます。

 

11/3(土)~11/18(日) 水曜休廊

 

 

日高昌克(ひだか しょうこく)

1881年(明14)~1961年(昭36)

 

和歌山県御坊市の医師木村元壽の長男に生まれ、のち親戚の池田家を継ぐ。
日高は生地の地方名に因む画名。
昌克は医学を修め耳鼻咽喉科の医学者、医者としての業績をあげながら、美術の関心を次第に深め、大正初期から四条派の阪井芳泉などについて日本画の手ほどきを受け始めた。
やがて医師仲間と墨痴会を結成して芸術論議にふけり、同郷の野長瀬晩花を通じて国画創作協会の土田麦僊らとも交友を開始し、若々しい絵画運動の息吹に触れた。
富岡鉄斎に傾倒し古画と自然を師として独自の画風を築くべきことを諭されたのもこの頃である。大正10年には美術団体黒鳥社を興して意欲的に発表し、昭和2年には第6回国画創作協会展に入選、同展日本画部解散後は同協会の若手により結成された新樹社に参加した。この頃までの昌克は四条派、南画、北画、浮世絵などに多様な関心を示し、この習作期に吸収したものは後の日高芸術形成の糧となった。
昭和10年代に入って、画名を日高昌克とし、医業を廃した頃から、昌克の作品は写実を超えた精神の表現を求めて独自の世界を切り開いていく。
持病のリューマチの悪化に苦しみながらも戦後の昌克が描き続けた紀州の山並みは、純真な自然への感動が墨調と色彩のハーモニーを奏で、晩年に至って清新な生命感あふれる心境面へと深められた。
異色の水墨画家として蒐集家などより作品が動かず幻の作家と伝わったこともある。

 

 

「暮山平林図」1958(昭和33) 38.9×51.2cm 「山高水長図」1958(昭和33) 44.5×27.3cm 「叭々鳥」1949(昭和24) 34×49.3cm 「瀧」1949(昭和24) 54.5×38cm

画廊ビュッフェファイヴ